ミスターの愛称で親しまれ、88年に野球殿堂入り。そして、13年には国民栄誉賞を受賞した。プロ野球界の枠を超えた、まさに国民の宝。プレーで、そして言葉でファンを魅了した。その足跡を、名言とともに振り返る。
【入団前】
57年11月5日・入団前に意中の球団を問われ。
「私はあくまで伝統に輝く巨人を慕っているのです」
【デビュー戦】
...もっと見る 58年4月5日のデビュー戦、国鉄・金田に4打席4三振を振り返り。
「デビューとしてはハプニングどころか、大変なダブルハプニングでね」
【ベース踏み忘れ】
58年10月19日、幻の本塁打に触れて。
「うれしくて、跳び上がってベンチに入ったらアウトで…。あの時は三振したときよりもイヤだった」
【敬遠に抗議】
59年6月9日、敬遠に抗議する意味でバットを持たずに打席に入った翌日。
「きのうみたいに徹底して敬遠されたのは初めてですよ。3度目のとき、もうあきらめちゃってバットを置いちゃったでしょ。そしたらちょっと高いくらいのボールだった。あれ、打てたかもしれない」
【忠犬ハチ公?】
62年7月。
「冗談でもベテランなんて言われたくない。中堅、中堅、中堅でいいの。でもハチ公じゃ困るけどね」
【努力型】
68年7月。
「ぼくは努力型だ。人からよく天才型と言われるけど、努力の積み重ねでやってきたんだから」
【三塁】
71年9月27日
「サードベースはぼくの恋人です。それが守れなかったら潔く引退します」
【現役引退】
74年10月14日、引退セレモニーで。
「今ここに、自らの体力の限界を知るに至り、引退を決意致しました。…私は、今日、引退を致しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」
【リーグV2達成】
77年春、監督として抱負。
「失敗は成功のマザー」
この年、数々の戦術を駆使し、9月24日にV2を達成した。
【10・8決戦】
94年10月8日のシーズン最終戦、同率首位優勝決戦となった巨人-竜。巨人監督として選手を前に。
「俺たちは勝つ!いいか、もう1回、言うぞ。俺たちは勝つ!勝つ!」
【メークドラマ】
96年、首位・広島と最大11・5ゲーム差。絶望的な状況でも7月に予告。
「ミラクルが起こる。2年越しのメークドラマが実現するでしょう」
予告通り、逆転優勝を成し遂げ“メークドラマ”と呼ばれた。
【ON決戦】
「世紀末の中で野球界最高の舞台」
長嶋氏が巨人、王貞治氏がダイエーの指揮官として20世紀最後の日本シリーズで実現。国民の注目を集めた戦いは、4勝2敗で巨人が日本一を勝ち取った。
【監督退任】
01年、リーグ制覇を逃し、第2次政権に終止符。退任会見。
「野球とは人生そのもの。今の気持ちは、今日の天気のように晴れ晴れしております」
不世出のスーパースターでした by🐟