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「闘将星野仙一」との出会い>>813
「例えば星野さんが先生で選手が生徒だとして、星野先生の中での“可愛さランキング”があるとしたら、確実にオレは上位だろうと思いますよ。そういう自負はあるんです」
亡き恩師との関係について、井上監督は目を細めてそんな風に振り返った。
“闘将”相手に生意気発言「冗談をかましたり…」
1990年の入団時、投手だった井上と第1次政権時代の星野監督とは、ほとんど接点がなかった。二軍暮らしでプロの高い壁の前にもがいていた若者と、一軍監督とは天と地ほどの距離感があった。
...もっと見る 1996年、再び監督として戻ってきた“闘将”の目に、腹を決めて野手に転向しがむしゃらにバットを振る若武者の姿が飛び込んできた。パワフルな打撃も魅力だったが、指揮官の心を捉えたのはそれだけではなかった。井上監督が振り返る。
「当時の星野さんはギラギラしていて、本当に厳しかったですよ。当時の野手には、立浪(和義)さんや山﨑(武司)さん、中村武志さんとかいっぱい先輩がいましたが、どんな選手でも監督の前では猫を被ってものを言えない。何か言われたら『はい』、『わかりました』って受け止めるだけ。でもオレは冗談をかましたり、ちょっと生意気なことを言ってみたりして、監督が投げてくる“ボール”を平気で打ち返したんですね(笑)」
「オレを使え!」アピールに先輩はヒヤヒヤ
数多いる選手たちの中で、その姿はひと際目を惹いた。名前の「一樹」にちなんだ「ピンキー」の愛称から、ド派手なピンクの野球道具を身につけた。オレを使え! とばかりに威勢良くアピールしてくる若者の存在が、“闘将”の中で「なんやアイツは?」から「面白いやっちゃなあ」と変わるのにそう時間はかからなかった。
「先輩たちは最初、そんなこと星野さんに言ったら、お前どやされるぞってハラハラしていました。ピンクの派手な野球道具もそう。当時の中日にそんな選手はいませんでしたから。でも自分は、エリートでもないしセンスのない中途半端な野球選手だったんで、もうとにかく“オレ、ここにいますよ”、“使ってちょうだいよ”って。そうやってアピールしたんですね」
血気盛んで時には鉄拳制裁も辞さなかった星野監督に、そんな口をきく選手は他にいなかった。時に孤独な存在でもある指揮官は、無遠慮に懐に飛び込んできた井上を可愛がった。グラウンドの中だけでなく、食事会やオフのゴルフなどでも時間を過ごし「カズキ、カズキ」と目をかけるようになっていった。
ベンチの中で「コラー!!」
「どんどん”ボール”を打ち返した方が監督は嬉しいだろうと感じていたんです。もちろん、このぐらいの冗談に対してはこれぐらい言ってもいいだろうとか、厳しい言葉に対して今日は引かなきゃいけないな、とか、そういうところは計算していました」
星野監督の目にとまった井上は、打撃の才能も開花させていく。1998年から一軍に定着し、パワフルなバッティングでクリーンナップの一角を任された。翌99年は、さらにミート力を磨き、その勝負強さから指揮官から「満塁男」と名付けられた。その年、巨人との優勝争いを制して11年ぶりのセ・リーグ制覇を果たす。優勝を決めた9月30日のヤクルト戦(神宮)の光景は、今でも忘れられないと井上監督は言う。
「監督のために、という思いは強かったです。ヤクルトとの試合中にマジックの対象チームの巨人が負けたことが伝わってきたんですが、監督はベンチの中で『コラー! この試合絶対に負けるな! 勝って優勝するんや』って。
負けていたんですけど、その途端に同点に追いついて、その後たまたま僕が決勝打を打った。僕は子供の頃から野球をやってきて優勝に縁がなかったので、あの時は心の底から嬉しかったですね。神宮球場がドラゴンズファン一色で、監督を胴上げした、あの光景は一生忘れられないです」
「信じてきてよかった」闘将の涙のスピーチ
敵地で優勝が決まった後、星野監督は満員のスタンドにこう呼びかけている。
「選手を信じてきてよかった。今日はすごい粘りだった。つくづく幸せな男だと思う。東京にこんなにドラゴンズファンが多いなんて。皆さんの声援と辛抱が選手を奮い立たせ、感動を与えているんです。そんな選手に拍手を送ってください」
“闘将”のスピーチを、井上監督は今でも一言一句覚えていると言う。
「言葉に力がある方でした。ミーティングでも、激励会や球団納会での挨拶でも、いつも強烈なインパクトを残す言葉を使うんです。厳しい言葉が多かったけど、僕は監督の言葉を聞くのが好きでしたね。怒られている時ですら、『こんな風に言葉を上手く使うのか』とか『連呼することで強く聞こえるんだな』とか感心しながら聞いてたくらい。
ガッツポーズしてみたり、時にベンチの物をバーンッて蹴とばしてみたり、審判に熱く向かっていったり……。星野さんって、エンターテイナーだったと思います」
「戦国武将なら織田信長」鬼の顔
グラウンドでは厳しい反面、ふとした時に優しい言葉をかけてくれたり、きめ細かく贈り物をするなど、人の心をつかむのが上手い監督でもあった。
「普段はお面を被ったぐらい鬼みたいな顔をして怖いですよ。戦国武将で言えば、織田信長。鳴かぬなら殺してしまえ、ってね。でも、ユニフォームを脱ぐと、その表情が変わる。目尻が下がってニターッて笑うんです。そのギャップに男が男にキュンとするわけじゃないけども、あの人が喜んでる姿を見たい、あの監督を笑わせたろ、という気持ちになるんですね」
星野監督が「織田信長」というなら、その懐に飛び込み、出世街道を歩んだ井上監督は「豊臣秀吉」ということになる?
織田信長に仕えた“秀吉”の思い
「まあ、そうかもしれませんね。星野監督の言われたことに対して、何と返せばいいのかという計算は早かった。それだけは“暗算三段”でしたよ(笑)。でもね、本当に星野監督からは色々なことを学ばせてもらった。それは今に生きているし、ここからその教えを継承していきたいと思っているんです」
永遠の恩師は、2018年1月に70歳でこの世を去った。井上監督は毎年、キャンプイン前など節目で愛知県内にある墓を訪れて手を合わせている。今春の墓前での報告は、竜の監督としてドラゴンズ再建の決意を示す、特別な時間になった
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