「紙一重の人生」
「僕はね、本当に“紙一重の男”なんです。あの時こうだったらとっくに野球人生が終わっていた、という局面を何度も切り抜けてきたんです」
そう言って豪快に笑い、井上監督は自らの歩みを振り返った。
“練習生”からのスタート
1990年、鹿児島商高からドラフト2位で入団した当初はピッチャーだった。しかし、最初は支配下登録の枠に入れず練習生のような扱いだったという。
...もっと見る「今で言う育成選手ですよ。二軍の試合にも出ることができないレベルからのスタート。高校の時は少し自分に自信があって『オレが投げる球、打てるもんなら打ってみろ! 』って感じでやっていたんですけど、入ってみたら全国からそういう選手が集まってきていた。カルチャーショックじゃないですけど、こんなに凄い人がいっぱいいるんだ、って。どんどん自信をなくしていきましたね」
デビューはプロ2年目、1991年5月の広島戦。その年は一軍でリリーフとして8試合に登板したが0勝1敗、防御率7.24。13回3分の2の登板回に対して与四死球は「17」と散々な結果だった。3年目は登板1試合のみ。プロの高い壁の前にもがいた投手時代を、井上監督はこう振り返る。
「オレ、クビだよな…」
「結果が出ないなかで、ちょっと肘を痛めたり足を痛めたりということもありました。ピッチングをするにもストライクが入らない。自信喪失ですよ。この世界では無理だというレベルの差をはっきりと感じていました。何年かしたらオレ、クビだよな、この世界にいられないよな、って思っていましたね」
一軍で登板して打たれた試合の帰りのバスの中、人目をはばからず涙したことがある。肩を震わせる若者に声をかけてきたのは大ベテランの主砲、落合博満だった。
「『何泣いてんだよ』って。『この世界はやるかやられるかなんだよ。ベソかいてたんじゃあ、この道では生きていけねえんだぞ。泣くんじゃねえ』って。そんな言葉を言われたことをうっすら覚えています。当時の落合さんは大スターで、コーチだってものが言えないくらいの存在です。そんな選手が19、20歳のペーペーに対して言葉をかけてくれた。たまたまバスの席が近かっただけかもしれないけれど、ありがたかったですね」
「野手転向」導いた“偶然”の連続
プロ5年目、1994年のシーズン前に、当時の島谷金二・二軍監督から野手転向の打診を受けた。投手として行き詰まり、どん底にいた若者にとってそれはまるで、頭上に垂らされた“蜘蛛の糸”だった。
「この自信喪失状態からやっと脱出できるんだ、って。野手に替わればそれなりに試合に出られる、もっと野球を楽しめるんじゃないか、と光が見えたような思いでしたよ」
野球人生の大きなターニングポイントとなったこの野手転向にも実は、「紙一重」の裏話があった。
「確かシーズン前の春の教育リーグで、二軍の野手がボロボロ怪我をしてバッターが足りなくなってしまったことがあったんです。そこで中途半端なピッチャーだったオレに声がかかった。『今日は外野に入れ。守れなくてもいいから、とりあえず出ろ』と。そこで確か、2本くらいヒットを打っちゃったんです。それでもう、翌日には首脳陣の中で『あいつ野手の方がいけるんじゃないか』っていう話し合いが行われたらしいです」
“代役”で出場した晴れ舞台でいきなり…
たまたま出たあの試合でヒットを打っていなかったら……。不思議な運命の導きを、井上監督は今でも感じているという。
「試合に出ている以上は打席で来たボールを打つのは当然です。でも、絶対打ってやろうと力が入っていたわけでもなく、打てなくて当然だとリラックスして打席に立っていたから打てたんだと思う。もう今年でクビだろうと思っていたオレが、あれで生き延びた。春先のキャンプでたまたま野手の人たちが怪我をしていなかったら、そういうことにもなっていない。運命がいい方に転がってくれたんだと思いますね」
歯車は音を立てて回り出し、投手として行き詰まっていた若者は、打者としてチャンスを掴んでいく。野手転向を決めたその年の夏、井上は怪我をした近鉄(当時)の選手の代役としてジュニアオールスターに選ばれ、「3番・指名打者」で先発出場。第1打席でいきなりバックスクリーン直撃の2ランを放つと、8回にもダメ押しの一発を突き刺して、ウエスタン・リーグ選抜のMVPに選ばれたのだ。
野手として見つけた「生きる道」
「あの頃は本当に必死でしたね。バッティングも守備も走塁もゼロからのスタートでしたから、死ぬほど練習しました。しんどかったですけど、それまでくすぶっていた自分が、野球をやれているのが新鮮で嬉しかったです」
打者として生きる道を見つけたその先で、運命の出会いが待っていた。1996年に監督に復帰した「燃える男」星野仙一の存在だった。
「僕は星野さんに拾われ、星野さんに育てられた男です。生涯、色々な監督に導いてもらいましたが、僕の中ではどこまで行っても一番の監督は星野さんなんです」
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